2014年9月18日木曜日

スペインの旅 聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへ その1

僕は無神論者なのだが、教会や寺、そしてそこに集まる人々には興味がある。


今回、聖地と言われる場所に来るのはバチカン以来2度目だ。


なぜかちょっと張りつめた心境を感じながら、滞在していたア・コルーニャから
鉄道でサンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう。


サンティアゴ(Santiago)はスペイン語で聖ヤコブのこと。


聖ヤコブは新約聖書に登場するイエスの使徒の一人であり、
使徒ヨハネの兄弟で「大ヤコブ」とも言われている。


9世紀、その聖人として崇敬されているヤコブの遺体とされるものが、
奇跡的にこの地で見つかったのだ。


当時、イベリア半島はレコンキスタの真っただ中。

イスラム教徒と戦っていたキリスト教徒にとって、戦いを動機付ける強力なシンボルとなって、
崇められた。


それ以来、キリスト教の3大聖地として、多くの巡礼者がこの地を訪れるようになった。

巡礼路エル・カミーノも整備され、要所には修道院が置かれ、それと共に無料や安い宿も
できてきた。


現在、主な巡礼路はフランスの南西部からピレネー山脈を越えるルートだ。

僕はピレネーを車で越えたことがあるが、思ったより緩やかで、
徒歩か自転車でないと正式な巡礼者と認められないというのも納得した。

毎年、数万人が巡礼すると言われているが、皆、聖ヤコブのシンボルである
ホタテ貝の貝殻と水筒代わりのひょうたんをぶら下げている。



フランス語で帆立貝のことをコキーユ・サンジャックと言うのだが、
サンジャックとは聖ヤコブのこと。

なぜかスペイン語では"vieira"ビエイラ。

ヤコブと全く関係ないようだ。(笑)



駅を降りて、なんとなく人の流れに着いて行くと旧市街へたどり着いた。

通り沿いには、この街の名物の菓子「タルタ・デ・サンティアゴ」が売られている。

これは、中世から伝わるシンプルなアーモンドケーキで、その名の通り
「聖ヤコブのケーキ」という意味だ。



中身には、砕いたアーモンド、卵、砂糖等で作ったフィリングが詰められ、
表面にはパウダーシュガーがまぶしてあるのだが、その中心は聖ヤコブの
十字を型抜いてある。


スペインのお菓子やデザートは殺人的な甘さのものが多いのだが、
食べてみると、意外と食べられる(失礼!)甘さで飽きの来ない美味しさを感じた。




旧市街の街並みを楽しみつつ歩いていくと、通りの間から大聖堂の荘厳な姿が見えてくる。

カトリック教徒でなくとも、何か感慨深い。

辿り着いた巡礼者の中には感動して泣いている人たちもいた。





恐る恐る中に入ってしばらくすると、ちょうど聖ヤコブを祝うミサが始まった。


天井には大きな滑車が取り付けられていて、そこから重さ80キロもあるボタフメイロ
(銀の香炉)が吊るされている。

それが巨大な振り子のように煙を振りまきながらスイングされるのだ。

その光景は大迫力!




古くから巡礼者たちはその煙に清められ、その香りで癒されてきたのだろう。


しかし、実は、大勢の巡礼者たちの汗臭さを消すために大きな香炉で香りを
振りまいたという現実的な一面もあったようだ。



僕は無神論者と言いつつも、教会には惹かれるものを感じる。

なぜか僕のような者でも神聖な気持ちにさせる独特の空気感とひんやりとした緊張感。


そして何よりも、身体全体が包み込まれるようなパイプオルガンの幻想的な響き。

昔の事だが、初めてそれを聞いた時には感動して身体が震えたのを覚えている。


つづく




2014年9月15日月曜日

スペインの旅 ガリシアビールのブリュワリー

スペインの北部、ガリシア地方は、我々がイメージする荒涼としたスペインとはだいぶ異なる。

大地はグリーンに覆われ、比較的雨も多い。

スペイン北部の広域を指してグリーン スペインとも言われる所以だ。


イメージと異なるのは気候だけではない。

ちょっと意外に感じるかもしれないが、ケルト文化圏なのだ。


街角で演奏しているミュージシャンもバグパイプを吹いていたりして、
アイルランドに少し似た雰囲気を感じる。



もう一つは、この地にキリスト教の3大聖地の一つがあることだ。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ

ここは、巡礼の路「エル・カミーノ」の終着地。

ここの大聖堂には聖ヤコブが眠っている。


多くの巡礼者たちが世界中から訪れ、フランスのバスク地方あたりから出発し、
ピレネーを越えてこの地を目指すのだが、徒歩か自転車だけが正式な巡礼者として
認められるようだ。



ガリシアは食材も豊富で、海岸沿いでは海の幸が有名だ。

西側の海岸線は、複雑な入り江が多く、リアス式海岸の名前の由来となっている。


また、この地のワインも有名で、リアス・バイシャスやリベイロは秀逸で特徴的な白を産する。


シードラ(リンゴの発泡酒)なども造られており、まさにケルティック。



さて、今回のテーマの一つ、ガリシアのビール「エストレージャ・ガリシア」

そのメーカーであるイホス・デ・リベラ社はラ・コルーニャという町にある。

あの無敵艦隊が出港したスペイン有数の港町だ。


泊まっているホテルに迎えに来てくれるというので待っていると、
キュートで笑顔が素敵な女性が現われた。


すかさず、僕は彼女の頬にキスをして挨拶し、車に乗せてもらう。


街中を解説してもらいながら醸造所に到着。

説明を受けながら、一通り見学させてもらった。



他のスペインビールとの大きな違いは、水と醸造後の熟成期間とのこと。

他社は醸造後、平均的に5日程度熟成をさせるのに対し、エストレージャ・ガリシアは
約20日間の熟成をするため、ボディーにコクと厚みが出るようだ。


てっきり、醸造所の中で試飲させてもらえるのかと思ったら、それはなさそうな雰囲気。


一瞬がっかりしたが、そういうことではなく、これから直営のセルベセリア
(ビール主体のバル)に連れて行ってくれるようだ。

味気ない試飲より、そちらの方が楽しみ!


ポロシャツなどのお土産をもらって、また車に乗せてもらい市街地へ。


その店は中心部より少しはずれた場所にあり、思っていたより大きな店だ。



ゆったりした店内では、平日の昼間にもかかわらず、そこそこの賑わいを見せていた。



元はこの建物自体がブリュワリーだったとのことで、
奥にはビール製造用の大窯が当時のまま置かれている。



カウンターにはサルガデロスの陶器で作られたサーバーが鎮座し、
存在感を放っていた。



彼女がビールとフードを注文してくれる。

「ここでは数を言うだけでいいのよ!」

確かに周りの客は注文する時に数しか言っていない。
何も言わなければエストレージャ・ガリシアが出てくるのだ。

少し小さめのグラスで出てきたビールは抜群に美味い!



そうこうしているうちに、小イカのフリートスが出てきた。
これがまたハンパなく美味しい!



「こんなに美味い小イカ食べたことないよ!」と彼女に言うと、
「そうよ、私達がベストよ!」と嬉しそうに答えた。


談笑しながらビールを2杯ほど飲んだところで、彼女は「そろそろ仕事に戻るから・・」と、
そこまでの会計を済ませてくれた。

丁重にお礼を伝えながら、ハグをして別れ、そこからまた、おかわり、おかわり!


こんな店が近くにあれば・・・と心から思った。


続く






2014年9月14日日曜日

スペインの旅 ラ・コルーニャ(ガリシア地方)


ラ・コルーニャは落ち着いた雰囲気の素敵な街だ。


ガリシア語ではア・コルーニャと言い、あの無敵艦隊が出港した港町で、
町の中心部は大西洋に飛び出した突起のような小さな半島にあり、
その先端の丘には、ローマ時代に建てられたというエルクレスの塔と
呼ばれる灯台がある。



今回、エストレージャ・ガリシアを訪問した際に、おすすめのエリアを訊いておいた。


港沿いのマリーナ大通り は 「ガラスの街」と呼ばれ、
白い枠のガラス窓の建物が立ち並ぶ風景はユニークで美しい。

スペインと言えど、この辺りの冬は冷涼で、いかに太陽光を取り込むかが工夫されている。




その大通りから少し入った裏側の細い通りには数多くの飲食店がひしめき合っていて、
店先に並べられたテーブルは多くの客で賑わっている。


この辺りは観光客も多いのだが、観光客向けの店というわけではない。

店先にはこの辺りの名物の茹であげられた大きなたこが並べられていた。



一般的に欧米ではあまりタコが食べられていないと言われているが、
それはアングロサクソンやゲルマンのこと。


旧約聖書の戒律が元になって忌み嫌われているようだが、
キリスト教が伝わる以前からタコを食べていた地域、
ここガリシアや地中海沿岸は食べる地域も多い。



一通り路地を歩き、雰囲気の良さげな1軒のセルベセリアに入ってみた。

エストレージャ・ガリシアの大きなタンクが目に入る。



まずこの辺りで食しておくべきものはプルポ・ア・フェイラ(たこのガリシア風)


そして、ペルセベス(亀の手)、その他にも、アサリのワイン蒸しや
魚介のクロケッタなどをビールと共にオーダーした。


山盛りのグロテスクなものが運ばれてくる。



実は、この時、ペルセベス初体験!


食べ方をよく知らず、ちょっと戸惑っていると、隣のテーブルのおばちゃん2人組が
それを見ていて、店員の女性に、「あなた、食べ方を教えてあげなさい!」
と言ってくれた。


剥き方を教えてもらい、恐る恐る食べてみると、噂どおりとんでもなく美味!



おばちゃんたちにもありがとうと目配せする。


タコもアサリもどれもが素晴らしい。




大変満足しつつ、2軒目へ。


ちょっとしっかりしたものが食べたいので、米料理のありそうなレストランへ入った。


サラダとパエージャをオーダー。

リアス・バイシャスのアルバリーニョを飲みながら、料理を待った。

運ばれてきたのはちょっと汁気の多いタイプのパエージャ。

米にも芯がはっきり残っている。

この店のパエージャは、きっと日本人好みではないと思ったが、僕自身はあまり抵抗がないので、
美味しく頂いた。


スペインでは米をよく食べるが、決して主食ではなく、あくまでパンが主食。

イタリアでのパスタの位置づけと同様に、スペインの人たちは米料理をパンと一緒に食べる。

米は、豆などと同じような存在なのだ。


日本ではパスタやパエリヤは主食扱いされているので、パンが出てくる店は少ないが、
きっと彼らが日本に来ると戸惑うのではないだろうか。


そのせいかもしれないが、パエージャの炊き上がりは店によって様々。

日本人ほど米の炊きあがり具合に執着は無いようだ。


一方で、日本のスペインレストランに行くと、やはり日本人好みの絶妙な炊き上がりに
こだわりを見せる料理人は多い。


塩加減に関しても同様で、こちらで食べると日本人にとっては塩がきつめだ。

それはやはりパンやワインと一緒に食べるという前提があるからかもしれない。


つづく


2014年9月9日火曜日

スペインの旅 アシエンダ・ベナスーサ(エルブジ ホテル) その2


ラ・アルケリアでの食事を終え、店を出て中庭でぶらぶらしていると、

僕のテーブルの隣で食事をしていたファミリーが声をかけてきた。


どうやらベルギー出身で、今は南フランスのニース近郊に住んでいるらしい。

訊けばバカンスで1週間ほど滞在する予定とのこと。


このホテルに家族5人で1週間滞在するということは相当リッチなのだろう。

後日、メールで家の写真を送ってくれたが、プール付きの豪邸だった。


もうすぐパリ大学に入学するという高校生の息子が達者な英語でいろいろ話してくるが、
両親はあまり英語は得意ではなさそうだ。


よく思うことだが、欧米の人たちは話す時の距離が近い。

どんどん距離を詰めてくる彼らに、僕はジリジリ後ずさりしながら会話を楽しんだ。



翌日、ちょっと早めに起きて身支度を整え、広い敷地を散歩。

そしてレストランへ。

アシエンダ・ベナスーサは朝食の素晴らしさでも有名だ。

たくさんの種類のパンが出てくるが、どれもがレベルが高い。




自家製ジュースも濃厚で美味しい。


メインはいろんな料理から選べるが、モハマ(マグロの生ハム)とクロックムッシュを選んだ。



なんと朝食に2時間近く!


当時世界一美味しい朝食と言われていた通りのレベルの高い充実した朝食に満足しつつ、
ふと考えてみる。


ヨーロッパでこういった豪勢でボリュームのある朝食はどういう位置づけになるのだろうか。

時間的にブランチというわけでもない。


一般的に、英国を除くヨーロッパの人たちは朝食を簡単なもので済ますことが多い。

英国でも、最近はいわゆるフル・ブレクファストを供するところは減り、簡素化されているようだ。


ここスペインでは、Churros con Chocolate(チュロスとホットチョコレート)がよく食べられている。


チュロスをホットチョコレートにべったり浸けて食べるのだが、

このチョコレートが実は砂糖より甘い。(笑)

僕も一度は食べたことがあるが、とてもじゃないけど毎日は無理!


フランスでも、クロワッサンや甘いケーキなどとカフェ・オ・レという軽いものだ。


その点、僕たち日本人はパン食が増えたとは言え、伝統的な和の朝食は品数も
ボリュームも多いので、そんなに抵抗なく受け入れられる気がする。


おそらく、このホテルに泊まる人たちは、全員、食事をメインテーマとして訪れている
食いしん坊であろうから、朝からヘビーなボリュームでも意外と楽しめるのかもしれない。


続く



2014年9月7日日曜日

スペインの旅 アシエンダ・ベナスーサ(エルブジ ホテル) その1

数年前、まだエル・ブジが閉店する前の話だが、スペイン滞在に合わせて、
エル・ブジの予約を試みたことがあった。

当然のように予約は取れず、スペイン語の達者な知人に頼んで丁重な文章を
書いてもらい、FAXを送ってみたが、これまた丁重に断られてしまった。


ご存知のようにエル・ブジは当時、世界一予約の取れないレストラン故、
さすがに簡単に行けるとは思っていなかったが、一度はモダン・スパニッシュの
元祖を味わってみたかった。


有名になると、賛否両論が当然のように湧き起ってくるが、
本家を味わわずに二番煎じ、三番煎じ(失礼!)を食べただけでは
評価することはできない。


そこで、ふとエル・ブジがホテルを経営していたことを思い出した。

「アシエンダ・ベナスーサ」



ちょうど、セビーリャに少し滞在する予定だったので、そこからそのホテルのある
サン・ルーカル・ラ・マヨールは近い。

予約を試みると、あっさりOK!

ちょっと拍子抜けしたが、早速、予定に組み込んだ。


アシエンダとは荘園のこと。

このホテルは、イスラム教徒占領時代にアラブ人により建設された10世紀の
小農園に端を発する。

13世紀にキリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)の中で奪回に成功した後、
様々な貴族がオーナーとなりながら、19世紀にはスペインでも最も古いもののひとつ
である闘牛飼育場がおかれた。


現在は、その歴史と文化の価値を閉じ込めた建物と、アッパークラスのゲストの要求を
満たす設備との調和が見事に共生する壮麗なホテルとなっている。


メインダイニングは、「ラ・アルケリア」



ご存知のように、エル・ブジはその年のメニューは翌年以降二度と出さないのだが、
このレストランでは、過去のメニューが特別に食べることができるのだ。


指揮をとるのは、長年フェラン・アドリアをセカンドとして支えてきたシェフだから間違いない。


ここのステイはちょっと贅沢をしようと、セビーリャの滞在先までホテルのハイヤーを呼んだ。


さすが、大きなベンツが到着!

ゆったりとした後部座席に乗り込む。

ホテルまで30分弱の間、のどかな田園風景を眺めていた。


門をくぐると、派手さは無いが、歴史の重みを感じさせる厳かな雰囲気の建物にたどり着いた。


チェックインしてベルボーイに部屋へ案内してもらう。


部屋に入ると、落ち着いた少し薄暗い感じで、重厚な調度品と天蓋付きのベッドが目に入った。

バスタブなどもレトロなもので統一されていて、タイムスリップしたような錯覚に陥る。




しばらく部屋でくつろぎ、ホテル内を散策。

そうこうしている間にお楽しみの夕食の時間がやってきた。

ちょっと気取った格好に着替え、レストランに向かう。



テーブルに案内されると、まずは見事に先制パンチにやられた。

水のメニューが透明のガラスの筒に入れられて渡されるのだが、
その筒がキンキンに冷やしてあるのだ。


何気なくサラッと手渡されて、ヒヤッとする様にゲストは驚き、
一気にエル・ブジ・ワールドに引き込まれる。


こういった憎い演出をすると、次に何が出てくるのか否応なく期待値が上がってしまう。

次の攻撃に自信があるからこそできることなのだろう。


水だけでも世界各地の銘水が揃えてあり、20種類ほどあった。


そして、まずは食前酒。



二層に分かれたスタイルのサングリア。

下に香り付けされたワイン、上に桃のピュレが注がれていた。

口の中で完成するというコンセプト。

美味しい!


それと共に出されたオリーブ。

これも普通のオリーブではなく、やわらかい玉の中に、凝縮されたオリーブのエキスが詰まっていて、口の中に入れて恐る恐る割ってみると、一気に濃いオリーブの風味が広がっていく。


全部で20皿以上の料理が出たが、サーブする度に詳細な説明をしてくれる。


特徴的なのは、ほとんどフォークやナイフを使わない料理が多いことと、
古典的な料理がベースになっていること。

しかし、あくまでベースであり、一旦、完全に分解して再構築されている。

なので、元の料理を知らないと、面白さが半減してしまう。





そういう意味では、ある程度経験値のあるグルマンか料理人の方が
真価がわかるような気がする。


もちろん料理はおいしいのだが、味だけで言うと、決してベストとは言い難い。

食事というよりも、エンターテイメントとして捉えた方が楽しめるのだ。


生まれ育った土地の古典的なものを解体し、再構築する発想と表現力。

それにたどり着いたフェラン・アドリア氏の視点。

それを楽しめたら、ここは相当面白いだろう。


続く

2014年9月4日木曜日

スペインの旅 シェリーの故郷を訪ねて その2

ついにイダルゴ社を訪問。

ここのメインとなるマンサニージャ・ラ・ヒターナは、マンサニージャのお手本となるような、
バランスが良く、さわやかな飽きの来ないお酒で、僕の家の冷蔵庫にも常備されている。

ラ・ヒターナとはジプシーの女性という意味。

このお酒のラベルに描かれている女性のことを指しているが、
実は創業者の愛人だったとかなかったとか。


中に案内されると、美しい花のアーケードが・・



それと共に、何とも言えない香りが漂ってくる。

そして、蔵の中へ・・・



話に聞いていた通り、潮風が吹き抜けていた。

天候や湿度、季節に応じて風の入れ方を調整するらしい。

僕は樽熟成している酒蔵の香りが大好きなのだが、シェリーの蔵もたまらなかった。


シェリーは熟成を独特の方法で行う。

樽から樽へと一定量の酒を抜き取って移していく間に、古酒と新酒が混ざり合い、
複雑な香味を生み出していくのだ。

ここで説明されたのは、決してクリアデラからソレラの置き場所は上から下へと
決まっているものではないということ。

一般にソレラシステムの説明はピラミッド型で上から下へとなされていることが多いのだが、
実際には、写真のように様々なタイプの樽が不秩序に積まれていて、樽の側面に書かれた
番号や記号で次に移すべき樽が判別されている。


そして、それらをコントロールしているボデガ責任者ミゲール氏


何気なくさらっとした所作でベネンシアをするところがシブい!

簡単に真似のできない年季を感じさせてくれる。



フロール(産膜性酵母)が見えるようになっている樽。

このフロールが季節によって薄くなったり厚くなったりを繰り返し、
シェリーに酵母の風味を与えていく。

このフロールに守られたものは酸化せず、フィノタイプになり、
途中でアルコール度数を高めてフロールを消されたものは
酸化熟成してアモンティリャードとなる。

また、オロロソは最初からフロールをつけないよう、アルコール度数を
高め(18%以上)にして熟成される。


これらは辛口シェリーで、パロミノという品種から造られるのだが、
その他にも甘口シェリーのペドロヒメネスやモスカテルがあり、
辛口と甘口をブレンドしたミディアムやクリームというタイプもある。

「アモンティリャードは・・・英国人の舌には辛すぎて・・・
1ガロンか時にもう少しの甘口シェリーを足す」
(Henry Vizetelly著『シェリーの真実』より)


実は、辛口シェリーが飲まれるようになったのは近代になってからの話で、
その昔は中甘口の所謂ブレンドタイプが主流だった。

英国でも1850年代以降に辛口ワインがブームになってからフィノやアモンティリャードが
消費されるようになったようだが、それ以前はミディアムのように辛口のアモンティリャードに
極甘口のペドロヒメネスをブレンドするのが一般的であったようだ。

ここ近年は、ドライ嗜好がさらに進んで世界的な流れのとなり、シェリーだけでなく、
かつて甘口が主流だったドイツのような国でも良質な辛口が生産されるようになってきた。


「オイガ! ウナ マンサニージャ ポルファボール!」
(すんません!マンサニージャくださ~い!)

このフレーズだけは何を置いても覚えておくべきだろう。


続く

2014年9月3日水曜日

スペインの旅 シェリーの故郷を訪ねて その1

僕が惚れたお酒の一つ「シェリー酒」

シェリー酒とはワインの一種で、発酵後に蒸留酒を加えることで少しアルコール度を増した
酒精強化ワインと言われるお酒。

スペイン、アンダルシア地方の南部、へレス・デ・ラ・フロンテーラ周辺で作られている。






最近ではちょっとはメジャーになりつつあるが、メジャーになり切れないところがまた良い。


お察しのように、シェリーとは英語。

その昔、英国がシェリー酒を輸入し、世に広めたのだが、その時に、英語訛りが定着したようだ。


現地では「ビノ・デ・ヘレス」もしくは「ヘレス」と言うが、注文する時は専らタイプ名で
言うことが多い。


シェリーにはたくさんのタイプがあって、小さい地域で作られている割にバリエーションが豊富。


同じ地域のブドウから造っても、製法や熟成の違いだけで様々な風味を生み出すのだ。


「ワインは生まれが大事。シェリーは育ちが大事」と誰かが言ってたような・・

上手い言い回しに感心した覚えがある。


シェリーのタイプの中にマンサニージャという、どちらかというと淡麗な辛口を産する町、
サンルーカル・デ・バラメダを訪れる機会に恵まれた。

海辺の町だ。


街に入ると、たくさんのマンサニージャブランドの看板が目に入ってくる。


この地域は海風が強く、熟成庫にその海風を通すことで、その特徴的な風味が生まれる。

それゆえ、潮の香りが感じられるのもマンサニージャの特徴と言われている。


まあ、実際には潮の香りがすると言われてもピンとこない物もあるのだが・・


このマンサニージャ、魚介類や生ハムとの相性は抜群!


ご存知のように、魚介というのはお酒との相性が難しい。

特に青魚とワインなどは失敗すると口の中がとんでもないことになってしまう。


大ざっぱに言うと、僕は魚介類に合うベストな食中酒は日本酒だと思っているが、
シェリー酒は日本酒に匹敵する相性を見せてくれる。


一度、ある札幌の美味い鮨屋にマンサニージャ・ラ・ヒターナを持ち込ませて
もらったことがあるが、素晴らしいマリアージュを感じさせてもらったことがあった。

シェリーはビネガーとも相性が良いからだ。



さて、サン・ルーカル・デ・バラメダの街中に車を止め、海の方に歩いていくと、
海岸沿いにバホ・デ・ギアという通りがあり、バルやレストランなどが並んでいて、
結構な人で賑わっている。

この辺りでまず食するべきはエビ!

混んでいるレストランのテラス席、といっても店の前の外の広いスペースにテントを張っただけの
テーブルに着く。



強烈な日差しだが、テントの影はミスト冷房も手伝って、意外と快適だ。


当然のように、冷えたセルベッサ(ビール)とマンサニージャ、茹でたエビを頼み、
素手で貪るように食らいついた!


すかさずマンサニージャを流し込む。

「美味すぎる!!」


もう一つ頼んだのは魚介のアロス カルドソ。

これは、汁気の多いリゾットをイメージすると分かりやすい。

これまた激ウマ!



デザートには、アイスクリームに甘口のシェリー酒ペドロヒメネスをかけた定番を注文。

感心したのは、レーズンを練りこんだ専用のアイスクリームが市販されているということ。

バニラアイスでも十分美味しいのだが、やはり、こちらの方がベストマッチ!


日本で市販されているアイスクリームを使うなら、ハーゲンダッツのラムレーズンが良いようだ。


スペインに来ていつも思うのは、何の飾り気もない、そっけないほどくシンプルな見た目からは
想像を超える旨さを感じる不思議だ。


続く